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戦車三十七連隊のホニ車の所属について

 投稿者:Nyarlathotep_44  投稿日:2015年 9月19日(土)19時31分19秒
  初めまして、Nyarlathotep_44と申します。
この度は戦車第三十七連隊のホニ車の件について質問がありましたのでこの場をお借りした次第です。
質問というのは、むーさんのHPにて確認させていただいたホニ車の写真のキャプションではホニ車の所属は砲戦車中隊であるとのことで、実際とても興味深い写真なのですが、この「砲戦車中隊」というのは果たして末期戦車連隊編成に於ける第三、四中隊の事であっているのかと疑問なのです。

やまき様も恐らく知っての通りなのでしょうが、末期の九州の戦車部隊は高定員編成連隊が多数を占めておりまして、戦車第三十七連隊もそのうちの一つです。
高定員編成連隊の内訳は二個戦車中隊(第一、第二中隊)二個砲戦車中隊(第三、第四中隊)一個自走砲中隊(第五中隊)となっており、十八年度頃の戦車連隊編成とはまた違った編成となっているのは学研の「陸軍機甲部隊」の記述の通りです。

恐らくきちんとした裏付けあってのキャプションで間違いないとは思うのですが、どうしてもこの砲戦車中隊が末期高定員編成連隊の編成での砲戦車中隊所属車両か気になってしょうがなく、ぶしつけながらもこのような形で連絡させていただいた次第です。
稚拙な文にて申し訳ありませんが、よろしければこの疑問にお答え頂けると幸いです。
 
 

1945年8月13日の第601海軍航空隊攻撃第3飛行隊の挙母基地からの出撃について

 投稿者:雷風雷撃隊  投稿日:2012年 1月18日(水)13時25分41秒
  本当に、お久しぶりでございます。
以前、艦上爆撃機「彗星」(空冷エンジン型の彗星三三型と四三型)装備の第601海軍航空隊攻撃第3飛行隊の1945年8月13日の挙母基地=伊保ヶ原飛行場(名古屋海軍航空基地/現:愛知県豊田市)からの出撃の件について投稿した、富山の「雷風雷撃隊」であります。


ところで、「深井良中尉の甥」様が、2007年8月7日の海兵72期なにわ会の靖国慰霊祭の親睦会の折に、当時、攻撃第3飛行隊に所属していた山田良彦元海軍大尉(海兵72期)に、1945年8月13日の攻撃第3飛行隊の挙母基地からの出撃についてお聞きになられたところでは、山田元大尉からのご回答は、「8月13日の出撃は全機特攻出撃で、私(山田元大尉)と甲本中尉のペアによる1番機の離陸直後に攻撃中止命令が出たため、唯一離陸した、私自身が操縦する1番機が、無線で挙母基地からの攻撃中止命令を受信した上で、三河湾に爆弾を投棄して基地に帰投した」とありました。
しかし、同じく攻撃第3飛行隊に所属していた松永榮元海軍中尉の著書『大空の墓標-最後の彗星爆撃隊-』によれば、8月13日の出撃は、「1番機と3番機は急降下必中爆撃(通常爆撃)、2番機と4番機は特攻で、攻撃後の1番機と3番機は、関東地区の海軍航空基地に帰投すべし」とあり、また、加納博忠元海軍中尉(松永様と同じく、海兵73期。なお、山田様や松永様が艦上爆撃機「彗星」の操縦搭乗員であったのに対し、加納様は艦上爆撃機「彗星」の偵察搭乗員でした)の証言では、「8月13日の出撃は全機通常攻撃であり、攻撃後は、最寄りの海軍航空基地に帰投すべし」というものでした。


このように、山田様と、松永様や加納様とでは、8月13日の攻撃第3飛行隊の出撃・攻撃方法については、証言が食い違っていますが、その実態は、如何なものなのでしょうか。
 

堺で考える沖縄慰霊の日の集い

 投稿者:戦争遺構研究  投稿日:2011年 6月19日(日)18時14分58秒
  堺で考える沖縄慰霊の日の集い、6月23日AM11時、堺市立東図書館会議室、堺市立東図書館(南海高野線北野田駅前アミナス北野田4階)幻燈で沖縄の文化財、戦争遺構、軍事基地などを見ながら沖縄の置かれている厳しい現実を考えます。沖縄関係の図書も少し展示します。興味のある人はご自由においでください。戦争遺構研究会。


 

見直そう堺の町・再発見ウオッチング

 投稿者:明治建築研究会メール  投稿日:2010年 1月10日(日)14時53分22秒
  見直そう堺の町・再発見ウオッチング

 チンチン電車の存続を考えるために、美しい旧紀州街道沿い周辺に残る近代遺産としても貴重な旧堺紡績会社跡の煉瓦造モニュメント、珍しい大正期の煉瓦造地蔵堂、戦前の洋風の旧郵便局、懐かしい風車などを見て回りながら町の中に溶け込んでいるチンチン電車の魅力、堺の町の再発見をします。関心のある人はおいでください。


 「日時」 平成22年1月16日(土)、AM10時~
 「集合場所」 阪堺電気軌道・東湊駅(電停)前(堺市堺区東湊町1丁)
 「定員」 20名(先着順)、参加無料
 「申し込み」 堺市東区大美野155-13,明治建築研究会、TEL072- 236-3357。
 「案内」 明治建築研究会(桃山学院大学兼任講師)

 「その他」 歩きやすい服装でおいで下さい。
 

かけがえのない歴史遺産は、現地で保全再生を

 投稿者:戦争遺構研究会メール  投稿日:2009年10月22日(木)14時41分40秒
  再度、近代史の生き証人・明治の「軍艦最上」のブリッジ、マストを大阪へ

「水都大阪2009」のイヴェントが終了したので改めて近代史の生き証人・明治の「軍艦最上」のブリッジ、マストを大阪へ返却するよう要望します。

この度、イベントが終了したので貴重な戦争遺構・明治期の軍艦「最上」のマスト、ブリッジを呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)から大阪の地へ戻して、郷土の遺産として再生させるよう改めてお願いします。
当時、移設に賛成していた人の中にも、郷土の遺産は、近代史の生き証人として大阪へ戻すべきであるとの意見が最近は続いています。イベントのために邪魔になるとの理由で、所有者の都合で安易に戦争遺構を移設すべきでなかったとの意見がでています。呉市へ移設されても、公開、展示されないのであればなおさら大阪へ戻して、展示・公開させてください。
このまま貴重な戦争遺を呉市に移設したままにする事は、市民の多くは、大阪の歴史が忘れられるのではないかと心配しています。
何度もお願いしますが、大阪再生のために、呉市から貴重なブリッジ、マストを大阪に引き戻し展示・再生を図るよう要望します。
ご支援・ご理解をよろしくお願いします。

戦争遺構研究会。





5. 戦争遺構研究会 2009年10月22日 08:15
様式第1号
>
>                                      教委文第2357号
>                                     平成21年10月21日
>
> 戦争遺構研究会 様
>
>                            大阪府教育委員会事務局文化財保護課長
>
> 大阪府にお寄せいただいたご意見について(回答)
>
>
> このたびは、大阪府にご意見をお寄せいただき、ありがとうございました。
> 平成21 年10 月8 日付けでお寄せいただいたご意見について、下記(別紙)のとおり、回答します。
>
> 記
>
> (回答)
>  日頃は本府文化財保護行政にご理解とご協力を賜り、まことにありがとうございます。
> 標記のご要望について、ご回答申し上げます。 前回のご要望の際にもお答えいたしましたように、
> 本件を所管する大阪市ゆとりとみどり振興局より、通報艦「最上」は老朽化等により、
> 公園内で引き続き保存することは困難となっているが、その重要性に鑑みて、
> 専門施設である呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)にて保存していただくことにしたとの説明を受けております。


6. 戦争遺構研究会 2009年10月22日 08:33
続き
> また、今回、貴会からの要望を受けて、改めて大阪市ゆとりとみどり振興局に確認いたしましたところ、
> すでに本艦は呉市海事歴史科学館の所蔵資料となっていること、本艦の保存と活用は呉市海事歴史科学館の
> 活動の中で図られるものと考えているということです。
> 本艦は廃艦後、中之島公園において長く設置されてきた経緯があり、近代の歴史を語る貴重な資料として
> 引き続き府内での保存・活用をすべきであるというご要望の趣旨につきましては大変理解できますが、
> 老朽化した船体を適切に保存し、公開していく方法として検討し、実施された措置であるとのことですので、
> ご理解くださいますようお願いいたします。
>
>
> お問い合わせ先
> 大阪府教育委員会事務局
> 文化財保護課指定文化財グループ
> ダイヤルイン06-6944-6906
> FAX:06-6944-6910
>

7. 戦争遺構研究会 2009年10月22日 08:33
続き

返事有難うございます。
かけがえのない戦争遺構は郷土の遺産として地元で保全再生を図るべきだと考えます。保存も大切ですが、呉では公開、展示されないようでは意味がありません。大阪市民の多くは、歴史遺産の返却を求めていますので、再度、大阪の地での保全再生について御検討を、呉市、その他の関係方面へ呼びかけています。老朽化を理由にして、イベントのために貴重な歴史遺産が、いろんな理由を付けて、移転されたままになる事は、許されないことで、問題です。文化遺産の保存の原点に立ち返り、再び大阪の地へ返却するようご指導をよろしくお願いします。戦争遺構研究会。
 

明治の貴重な戦艦「最上」の資料を展示します。

 投稿者:戦争遺構研究会メール  投稿日:2009年 9月26日(土)20時42分57秒
  明治の貴重な戦艦「最上」の資料を展示します。

堺市東区日置荘原寺町75-1(南海高野線萩原天神下車西100メートル)、萩原神社秋の文化展示会(参集殿2階、10月9~11日)で明治の戦艦「最上」の資料、戦前の新聞報道などを展示します。

郷土の貴重な遺産を大和ミュージアム(広島県呉市)に移設したものを再び大阪へ引き戻し展示するよう呼びかけています。かけがえのない歴史遺産を大阪の地で保全・再生を求める意見が広がってきています。

その他にも、写真、絵画、手芸品などを展示します。 関心のある人はご自由においでください。


  再び、戦艦「最上」のマスト・ブリッジを大阪の地で保全再生を関係方面へ呼びかけている文章。

「水都大阪2009」のイヴェントで中ノ島公園を中心にして楽しい行事が続いているようです。

 天満の旧八軒屋浜の整備をしながら中ノ島公園周辺をも整備しているのは、水都大阪再生につながりいいことだと思います。

 しかし、一時的なイベントのために近代史に残る貴重な戦争遺構・明治期の軍艦「最上」のマスト、ブリッジを呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)へ移設させた事は問題でした。だから、イベントの終了後は再び大阪へ戻し再生させるよう改めてお願いします。

 当時、移設に賛成していた人の中にも、歴史遺産は、郷土の遺産、近代史の生き証人として大阪へ戻すべきであるとの意見が最近は続いています。所有者の都合で安易に戦争遺構を移設すべきでなかったとの意見がでています。

 呉市へ移設されても、公開、展示されないのであればなおさら大阪へ戻して、展示・公開すべきです。お祭りは、それとして意味はあることだとは思いますが、そのために貴重な近代史の生き証人・軍艦「最上」のマスト・ブリッジを、移設したのは問題です。

 市民の多くは歴史の改竄ではないかと怒っています。何度もお願いしますが、イベント終了後は、大阪再生のために、呉市から再び貴重な明治期の「軍艦最上」のブリッジ、マストを大阪に引き戻し展示・再生を図るよう要望します。

協力いただける方は大阪市ヘ、後世に悔いを残さないためにも歴史遺産の保全・活用を図るためにハガキ、メールなどで大阪での保存再生についてご意見を送りいただければ幸いです。ご支援・ご協力よろしくお願いします。

堺市東区大美野155-13戦争遺構研究会(桃山学院大学兼任講師)TEL:072-236-3357
 

かけがえのない歴史建築は、早急に文化財の選定についてご検討を

 投稿者:戦争遺構研究会メール  投稿日:2009年 7月11日(土)22時23分20秒
  広島県知事殿、広島市長殿、文化庁殿、
取り壊しが予定されている広島市南区、旧陸軍被服支廠の建築〈1913年竣工、RC造、煉瓦造、3階建て)は、原爆の被害の跡をとどめた文化財クラスの貴重な戦争遺構です。後世に悔いを残さないためにも歴史遺産の保全・活用を要望します。今日まで大切に保存されてきたものを、現在戦争の記憶の風化が心配されていく中、かけがえのない戦争遺構は、なんとしても保全再生を図るべきです。かけがえのない歴史遺産は開発的保全再生を図るべきです。財政難は理解できても、文化破壊を絶対に許しません。地元の保存の動きに対して関西からも応援をしています。歴史を残した街造りのために歴史遺産の再評価をお願いします。戦争遺構の保全再生を関係方面へ呼びかけています。ご支援よろしくお願いします。
戦争遺構研究会。
 

浪速文化の再興のために建てられた昭和の名建築の再生を

 投稿者:近現代建築史研究会メール  投稿日:2009年 6月25日(木)23時15分47秒
  浪速文化の再興のために建てられた昭和の名建築の再生を
マスコミが新歌舞伎座〈昭和33年竣工、設計・村野藤吾)のお別れを詳しく報道している。もう少し、保存を求める市民、専門家などの声も採り上げてくれればと
思うがなかなかそれらは記事にはならない。マスコミは保存の声があるのを聞いているのか、それとも知らないのか、分からないが、保存の声については採り上げようとしない。保存は一部の声で、世論にはなりえていないと無視しているのかもしれないが、もう少し、長い間、市民に愛され親しまれてきた現代の名建築をなんとしても保全活用を図ってほしいと願う人たちの声も採り上げてほしい。我々も近現代建築の歴史、保全再生について学んでいるものとして熱心な市民の運動に協力している。新歌舞伎座は、昭和33年に、東京タワーの向こうを張って,大阪の復興のシンボルを建設したいと昭和の興行師といわれた松尾国三が当時の金で12億をもだして豪華な芸能文化の殿堂を建設したといわれている。当時の関係者の話では、大阪府知事、大阪市長なども浪速文化の再興のためと協力したと伝えられている。上六へ移転後も、昭和の名建築・新歌舞伎座は、その文化的な価値を生かして再生させるよう関係方面へ呼びかけている。後世に悔いを残さないためにも都市の資産の保全・活用についてご支援いただければ幸いである。
 

かけがえのない歴史建築は、早急に文化財の選定についてご検討を

 投稿者:明治建築研究会メール  投稿日:2009年 6月17日(水)15時42分55秒
  熊本県、JR人吉駅構内の人吉機関区車庫(明治44年竣工、石造平屋建て)は、文化財クラスの優れた近代の建築です。後世に悔いを残さないためにも歴史遺産の保全・活用を、かけがえのない歴史建築は開発的保全再生を図るよう要望します。近代化遺産に認定されていますが、早急に文化財の選定についてご検討をよろしくお願いします。地元の保存の動きに対して関西からも応援をしています。魅力的な街造りのために歴史遺産の保全活用をご検討ください。よろしくお願いします。
明治建築研究会.
 

沖縄の慰霊の日を前に「未決・沖縄戦」(平成20年製作、知られざる沖縄本島北部の沖縄戦を描いたドキュメンタリー映画、監督・

 投稿者:昭和の庶民史を語る会メール  投稿日:2009年 5月25日(月)21時16分17秒
  沖縄の慰霊の日を前に「未決・沖縄戦」(平成20年製作、知られざる沖縄本島北部の沖縄戦を描いたドキュメンタリー映画、監督・輿石 正)の上映会。
6月22日、PM2時、堺市役所本館(地下一階、多目的室、南海高野線堺東駅前、堺市堺区南瓦町3-1)で記録映像を見ながら昭和史を学び、考え、語り合います。当日、監督の輿石 正さんの講演もあります。映画づくりを通して何を感じ、何を積み残したのかをお話しいただきます。定員50名(先着順、参加無料)、関心のある人はおいでください。平和について考えるために行動を続けています。申し込み、昭和の庶民史を語る会、TEL072-236-3357。
 

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