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太兵衛の命日に参拝

 投稿者:松本達雄  投稿日:2006年 6月 6日(火)23時16分15秒
  今日6月6日は母里太兵衛の命日である。朝から好天気だ。我々中津黒田武士の会は10人ほどで福岡嘉麻市の太兵衛の眠っている麟翁寺に参拝した。もちろん太兵衛のご子孫母里忠一も一緒だ。11時から読経。若いご住職の麗しい声に聞きほれつつ、五輪の塔で出来ている太兵衛の上品なお墓に頭を下げしばし勇将を偲ぶ。その後本堂に案内され読経の後、住職のお話を聞く。本堂には太兵衛の博多人形があり往時の姿を忠実に表現しているとのこと。中々温厚ないいお顔でした。あと黒田藩の出城秋月城祉を散策。名物葛料理を堪能し帰りました。黒田武士を舞う者にとって太兵衛がより身近になって良かった。今後もますます黒田武士の舞いに磨きをかけ、中津の宝にしないといけないと思いを新たにした。その夜暮らしの森文化教室「中津黒田武士を舞う会」の練習には多くの方が参加された。みな真剣に舞いに取り組んでいた。皆さん頑張りましょう。  

黒田武士追記11

 投稿者:松本達雄  投稿日:2006年 5月 6日(土)19時39分55秒
  5月3日全くの快晴、朝8時中津を出発。北九州回りで一路博多へ。ちょうど時間どうり会場に到着。係りの方と打ち合わせの後出番を待つ。とうとうこのときを迎えることに緊張で皆の顔も少し引きつるように見えた。いよいよ出番である。博多どんたく初日12時より福岡城演舞台にて中津黒田武士の舞をご披露した。舞台に向かって右に小野会長、中央に臼田師範、左に小生松本、その後にL浦橋の書。音楽が始まるとひとりでに体が動く。意外に客席の観客の顔も見る余裕があり気分よく踊れた。われわれが舞い終わったあと、母里忠一氏より黒田24騎の立派な額を贈呈された。そのあと臼田師範たち13名によるはも音頭が披露された。皆晴れ晴れした顔で踊っていた。無事中津の代表としての役目を果たし一安心というところである。会の方から頂いたおむすびをお城の中で頬張ったけれどとてもおいしかった。その後、福岡を離れ八幡の河内藤園を見学して中津へ。皆さんお疲れ様でした。良い思い出が出来たと皆さん大満足でした。  

黒田武士追記10

 投稿者:松本達雄  投稿日:2006年 4月26日(水)17時14分10秒
  先日の福岡城跡歴史・観光市民の会の皆さんと中津城にて交歓会をしたとき、会長の岡部定一郎様より是非中津黒田武士の舞を博多どんたくメインステージにて踊って欲しいと招聘されました。これはおおごとになったと小野会長、臼田師範は頭を抱えていましたが、ここで断ったら母里太兵衛に申し訳ないと、参加の返事をする事となった。5月3日11時4〇分から12時の間、お城の中の母里太兵衛の屋敷跡そばのメインステージで「中津黒田武士の舞い」と「はも音頭」を披露する事になった。中津の宣伝の為に多いにがんばってこなくチャーという訳で、当日は20数名で博多ドンタクに乗り込んできます。しかし縁は異なもの不思議なもので中津黒田武士が思わぬ事から思わぬほうへ発展していきました。呑み取りがあったのがこの中津藩主時代と言う事が分かってから、西日本、読売、大分合同各新聞に何度も取り上げられその反響に驚いている次第。黒田の発祥の地近江の木の本町、官兵衛の生まれた姫路、一番勇猛でキラリと強かったそして呑み取りのあったこの豊前中津、大輪の花が咲いた福岡と今後は各地が手を取り合って戦国時代の智将天下をも狙えた黒田官兵衛、家康に天下を取らせた長政そして呑み取りで歴史に名を残した母里太兵衛、勇将後藤又兵衛はじめ素晴らしい黒田武士の顕彰に努めていかなければならないと思います。何はともあれ5月3日の博多どんたくには中津の代表として多いに宣伝に努めてきたいと思っています。  

黒田武士追記.9

 投稿者:松本達雄  投稿日:2006年 4月 3日(月)13時05分50秒
  4月1日、博多より母里太兵衛のご子孫である母里市兵衛忠一さんはじめNPO法人福岡城跡歴史・観光・市民の会の皆さん40数名が黒田家縁の地を巡るということで中津を訪れた。我々中津黒田武士の会も8人ほどで出迎えた。皆さんは中津城の黒田如水の築いた石垣を見、太兵衛が供養した首塚(西御門付近)、後藤又兵衛の屋敷跡、西蓮寺、合元寺を廻られて中津をあとにされた。その間、FM中津放送のインタビュー、西日本新聞、読売新聞の記者が取材に来て色々聞かれました。我々が用意した大杯に酒を注いで母里さんに先祖が飲み干したように飲んでもらいましたがやはり、、、、、。という事で博多の黒田家の縁の方々とも知り合いになれ大変有意義な一日でした。
又、会の方より貴重な資料をたくさん頂き感謝した所です。これからもお互いの会が交流していい会に発展すればいいと思います。そしてゆくゆくは黒田如水の生地姫路、勇猛果敢であった中津藩主時代、大大名になった福岡等縁の地による黒田武士サミットへと発展していければいいと思います。わが中津としては1)中津黒田武士の舞の普及、黒田膳の創作と普及、黒田中津藩時代の時代考証につとめる、6月6日太兵衛の命日に墓参、飲み取りのあった正月3日に大杯で酒を飲み太兵衛を偲ぶ。等々のことを企画しております。おおくの市民の方の協力をよろしくお願いいたします。
 

母里太兵衛とガラシャ夫人と関が原

 投稿者:松本達雄  投稿日:2006年 3月14日(火)20時19分4秒
  1600年(慶長5年)6月16日、上杉景勝に謀反ありと家康と共に黒田長政も関東へ御発向した。その隙を見て三成は家康方の諸候の妻子を大阪城へ人質として差し出すように使者を出した。大坂天満の黒田屋敷には如水夫人幸円、長政夫人ねね姫がいたが、屋敷の周囲は多くの三成の兵に囲まれた。留守居役として屋敷を預かっていた母里太兵衛、栗山四郎右衛門は長政より何かあったら両夫人を無事に中津へ帰すべく、またそれがかなわなければ夫人を殺し、皆潔く自害せよと申し渡されていた。太兵衛らは両夫人を俵に詰め商人に変装した太兵衛が天秤棒の前後に担いで大阪湾に浮かぶ如水の派遣した迎えの船に運ぶべく思案したが、三成の兵があふれ行けそうにない。そんな7月17日の夜突然玉造の空に火の手が上がった。黒田の屋敷を取り囲んでいた兵は先を争って玉造の方へ向かい警備が手薄になった。その隙に太兵衛らは両夫人を木箱に詰め、小船に乗せて迎えの船に辿り着き、その後全員無事に中津に辿り着いた。この時の玉造の火事は大坂方の人質を拒んで自害した細川ガラシャ夫人と細川屋敷を焼く炎であり黒田の両夫人は奇しくもガラシャ夫人の死によって救われたのであった。両夫人の無事を知った長政はその後の関が原の合戦において家康のために大いに奮戦し勲1等の働きをした。徳川が勝ったのはひとえに長政の勲功によるところであった。黒田が筑前52万石に移封した後、豊前中津藩主となった細川忠興は1632年(寛永9年)9月最愛のガラシャ夫人の33回忌を中津三保の長久寺で行った。  

黒田武士 余聞 歌壇特選

 投稿者:松本達雄  投稿日:2006年 1月28日(土)09時14分37秒
  本日届いたライオン誌2006.2月号の54頁、歌壇に小生の短歌が特選に採られました.
歌と選者の春日真木子先生の評をご紹介します.
 「 黒田武士母里太兵衛ははしきやし酒にてその名残したりけり 」
(評) 今月は黒田武士の母里太兵衛を詠んだ一首が目を惹いた。母里はぼりとももりとも伝え
られる。黒田藩二十五騎の勇士で、福島正則の屋敷に使いした際、酒を強いられ、大盃で飲み干し、その褒美にと名槍日本号を得たという故事がある.「酒は飲め飲め飲むならばーーー」と、
黒田節でも有名である.掲出歌は「はしきやし」の古語がうまく挿入されて、作品となった.
はしきやしとは、いとしい、愛すべきの意。おそらく作者もお酒すきか。

というものであった.今更ながら選者の博学に恐れ入ると共にその見識に敬意を表すとともに、この選の僥倖に感謝。ライオン誌は全国のライオンズクラブ会員の皆様に愛読されているので、少しは黒田武士の故事がアピールできた事を嬉しく思うものです.その事から「名槍日本号呑み取りの里 豊前中津の黒田武士」がもっと、もっと市民の方から盛り上がって頂き、全国へと発信していけたらと思うものです.
 

黒田武士追記7

 投稿者:松本達雄  投稿日:2006年 1月22日(日)12時20分51秒
  伏見の福島正則公邸での酒宴で名槍「日本号」を飲み取った後、母里太兵衛は陸路を避けて
海路を船に乗って一路自宅のある豊前中津へ向かいましたが、その理由は陸路だと安芸の国
福島公の領地をと通ると奪い返される恐れがあるのでというのが通説でしたが、よく調べてみますと福島正則は賎け岳7本槍の筆頭と謳われ、九州・小田原征伐等における功績により(名槍日本号はその戦功により秀吉から下賜されたもの)1595年(文禄4年)秀吉により尾張清洲24万石の城主となりました。よって飲み取りのあった1956年(文禄5年)はまだ広島安芸藩主ではありませんでした。ちなみに広島安芸49万8千石の藩主になったのは飲み取りのあった年より4年後の1600年関が原の合戦にて東軍の勝利に貢献した功績により、家康より与えられたものです。よって太兵衛が海路船上の人となったのは、広島安芸藩を避けたのではなく陸路は正則公の追っ手が奪い返しに来ることを恐れたからとも思われます。太兵衛の日本号に対する並々ならぬ執着心とその槍がどんなにか素晴らしい業物でありその価値を槍の名手としてよくわかっていたという事がわかります。名バイオリニストが一度は名器ストラディバリウスで弾いてみたいと思うのと同じ心境ではないでしょうか。何はともあれ、伏見から豊前中津に無事に天下三槍と謳われた日本号を持ち帰った我らが母里太兵衛は今一度中津市民の宝として大いにアッピールしていかねばならない歴史上の人物であることは間違いないでしょう。中津市民の盛り上がりを大いに期待するものです。
今、黒田武士は出生地の播磨灘、逝去地の筑前福岡で大いに盛り上がっていますが、肝心の飲み取りのあった時に在住していた本家本元の豊前中津の市民の方々に知る人少なく寂しい限りです。まだまだ知られざる黒田武士、母里太兵衛、日本号について調べていきたいと思っています。どうかご存知の方がいたらお教え願いたいと思います。
 

迎春

 投稿者:岡田 洋一  投稿日:2006年 1月 1日(日)17時46分39秒
  新年明けましておめでとうございます。
本年も倍旧のご支援、ご交流
お願い申し上げます。
            2006年元日

334-A 4R 1Z
岡崎竜城ライオンズクラブ
   PR・IT委員長
   岡田 洋一


http://www.lctatsuki.com

http://www.lctatsuki.com

 

名槍日本号について

 投稿者:松本達雄  投稿日:2005年12月17日(土)22時40分25秒
  徳川幕府公認の名槍に「天下三名槍」とよばれる素晴らしい逸品があります。
まず【お手杵の槍】これは五条義助作の名槍ですが、家康の次男(二代将軍秀忠の兄、政略結婚で秀吉の養子となる)結城秀康(後の越前松平67万石城主)が家宝にしていた業物で関が原の合戦で首八つを突き刺したまま陣中に戻ってきたとき、真ん中の首が落ちて丁度手杵のようだったと言うことからその名がついたという逸話が残っています.つぎに【蜻蛉切の槍】名刀工村正門の正真作。徳川家康に過ぎたるものと喧伝された猛将本多平八郎忠勝が数々の武勲により家康から贈られ、愛槍として大切に所持していた槍でである戦のとき陣中にて休憩中その槍の穂先にとまろうとした蜻蛉がとまりきれずに真二つにすーと切れてしまったことからこの名がついたということです。そして【日本号】これは言わずもがなの黒田武士母里太兵衛が呑み取りの槍として有名な槍で正親町(おおぎまち)天皇から将軍足利義昭,織田信長、豊臣秀吉と伝わり、秀吉が小田原城責めで功績のあった福島正則に褒美として与えたものを,母里太兵衛が伏見城内の福島邸での酒宴で呑み取った槍です。歴代の権力者に相応しい持ち物としてその槍は秘宝として伝わっていったものです.その槍がひととき豊前中津の太兵衛旧宅に秘蔵されていたわけですがロマンいよいよ嵩じるところです.こんな素晴らしい槍が中津に在ったということはとてもすごいことで、我われ中津市民としては歴史の一部としてもっと市民の皆様の人口に膾炙していかなければならない事ではないかと思われるのです。
 

黒田武士追記 5

 投稿者:松本達雄  投稿日:2005年12月 9日(金)17時33分47秒
  いつの時代も名将のもとには名家臣がいる。黒田第六代藩主継高は藩祖の武功を後世に伝えるべく家臣の原種次に功臣二十四人の略伝づくりを命じた。種次は黒田家が最も勇名を馳せた文禄の役(1592年)に着眼し朝鮮出征時の侍大将の面々を列挙した。これが有名な「黒田二十四騎」である。まさしく黒田武士が最も輝いて歴史にその足跡を残したのは文禄の役の頃、つまり豊前中津藩の時ということになります。中津市民にとってもっとこのことは身近に歴史を感じてほしいことではないかと思われます。秀吉の先兵となって九州平定に功を上げたり、赤壁で有名な合元寺の変や石垣原の合戦で400年続いた大友氏を滅ぼしたのもこの時代です。ちなみに黒田二十四騎の中でも選り抜きは「黒田八虎」と称されていますが、我等が母里太兵衛ももちろんその中に称されています。太兵衛は生涯で首数76を挙げ、勇猛果敢で一度も遅れを取ったことが無くその身体には敵から受けた傷はひとつも無かったといわれています。  

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