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徳川幕府公認の名槍に「天下三名槍」とよばれる素晴らしい逸品があります。
まず【お手杵の槍】これは五条義助作の名槍ですが、家康の次男(二代将軍秀忠の兄、政略結婚で秀吉の養子となる)結城秀康(後の越前松平67万石城主)が家宝にしていた業物で関が原の合戦で首八つを突き刺したまま陣中に戻ってきたとき、真ん中の首が落ちて丁度手杵のようだったと言うことからその名がついたという逸話が残っています.つぎに【蜻蛉切の槍】名刀工村正門の正真作。徳川家康に過ぎたるものと喧伝された猛将本多平八郎忠勝が数々の武勲により家康から贈られ、愛槍として大切に所持していた槍でである戦のとき陣中にて休憩中その槍の穂先にとまろうとした蜻蛉がとまりきれずに真二つにすーと切れてしまったことからこの名がついたということです。そして【日本号】これは言わずもがなの黒田武士母里太兵衛が呑み取りの槍として有名な槍で正親町(おおぎまち)天皇から将軍足利義昭,織田信長、豊臣秀吉と伝わり、秀吉が小田原城責めで功績のあった福島正則に褒美として与えたものを,母里太兵衛が伏見城内の福島邸での酒宴で呑み取った槍です。歴代の権力者に相応しい持ち物としてその槍は秘宝として伝わっていったものです.その槍がひととき豊前中津の太兵衛旧宅に秘蔵されていたわけですがロマンいよいよ嵩じるところです.こんな素晴らしい槍が中津に在ったということはとてもすごいことで、我われ中津市民としては歴史の一部としてもっと市民の皆様の人口に膾炙していかなければならない事ではないかと思われるのです。
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