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黒田武士追記

 投稿者:松本達雄  投稿日:2005年11月 3日(木)14時24分50秒
  11月1日、博多に母里太兵衛の跡を訪ねて行きました。まず博多駅前の黒田武士母里太兵衛像。碑文を読むと1596年(文禄5年)正月伏見の福島正則邸にて名槍日本号を呑み取ったこと、博多ライオンズクラブCN5周年記念事業として建立されたとありました。さすが博多LCです。つぎに母里太兵衛のご子孫である母里忠一を訪ね、いろいろお聞きしました。面白かったのは呑み取ったあと、日本号を担いで陸路を避けて(陸路だと正則の領地安芸を通ると奪い返される恐れがある)すぐ海路を船に乗り豊前中津に向かったそうです。以来中津の家に家宝として飾っていたそうですが慶長の役ではその日本号で大活躍をしました。1600年の関が原にて長政公が戦功をあげ筑前博多52万石に移封されるまでの5年間は中津の自宅に置いていた事になります。母里氏には資料を沢山戴き感謝。次に西公園の銅像を見その後、市立博物館に現存する本物の「名槍日本号」の実物に感激のご対面をしました。倶利伽羅紋のそれはそれは本当に素晴らしい槍でした。その後一路嘉穂町の母里太兵衛の墓を訪ねました。こじんまりとした墓でしたが気品のあるいいお墓でした。一日実りあるいい日でした。今後は博多黒田節共々豊前中津の黒田武士の舞がもっと人口に膾炙されるようにアピールしていけたらいいと思います。そして中津に来た多くの観光客の方々に名物「鱧しゃぶ」を召し上がりながら勇壮で端麗な豊前今様「黒田武士」の舞を見ていただければと思います。多くの市民の方に「名槍日本号呑み取りの里 豊前中津の黒田武士」が中津市の宝となって愛されて欲しいと思うものであります。このの踊りは上品で勇壮で見せ場のある本当に素晴らしい踊りです。ぜひ多くの方が踊りを覚えて何かにつけて踊りを披露して欲しいと思います。また、母里太兵衛についてご存知の方、資料をお持ちの方お知らせくだされば本当に嬉しいと存じます。よろしくお願いいたします。  

追記その3

 投稿者:松本達雄  投稿日:2005年10月11日(火)23時59分51秒
  本日、片端町の高橋印刷を訪ねL高橋社長と会い黒田藩の事を聞きましたら、御小屋横丁はすぐ隣にあり昔から後藤又兵衛の住居跡と言われている区画が現存しておりました.地域の古老や郷土史家の島先生の話にも出てきますのでほぼ間違い無いようです.後藤又兵衛は黒田藩の重臣で黒田二十五騎と天下に鳴り響いていた猛将の一人ですが、母里太兵衛をはじめそれらの重臣はこの付近に屋敷を構えていたと考えられます.黒田藩主長政が関が原(1600年)の戦功で筑前52万石へ移封されるまで家臣ともども中津に住んでいた時、1596年(文禄5年)福島公邸での酒宴で名槍日本号を飲み取ったことは、当時の豊前今様の調子に乗せて黒田武士として歌い継がれてきましたがこの黒田武士の本家として中津市は多いにこの史実をアピールしていくべきです.この秋は勇壮な豊前中津黒田武士の舞踊(大杯と槍を持って踊ります)を見ながら中津名物はも料理に舌づつみを打つのも一興かと思います.また、中津に住んでいた頃の母里太兵衛のことをご存知の方があったらお教え願いたいと思っています.よろしくお願いします.  

追記その2

 投稿者:松本達雄  投稿日:2005年10月 3日(月)20時11分17秒
  日本号の飲み取りは一説によりますと秀吉の第一次朝鮮征伐、文禄の役ののち一時休戦中にて黒田如水公、福島正則公とも日本に帰国していたころの出来事で文禄5年(1596年)のことではないかともいわれています。当時豊前中津藩主黒田長政公の重臣でしたのでその当時住んでいたのは中津市角木町付近(現在の片端町)御小屋横丁付近ではないかということが判ってきました。先日、黒田如水築城の中津城の石垣が九州最古のものであることが発掘調査で判明しましたが、その御小屋横丁もお城の近くにあったようです。名槍日本号を飲み取った黒田武士の本元がここ豊前中津藩の時代であった史実は大分県中津
市民も知る人が少なくさびしい限りですが、今後もっとその史実が明らかになれば黒田武士の歌と舞が身近になるのではないかと思われます。余談ですが博多の黒田武士の舞は扇にての舞のようですが、当地中津の黒田武士は槍と大杯を持っての舞でとてもかっこいいですぞ。
 

黒田武士追記

 投稿者:松本達雄  投稿日:2005年 9月21日(水)12時17分49秒
  母里太兵衛が伏見城内福島正則公邸にて名槍日本号を飲みとったのは、天正18年(1590年)
の事で当時の中津藩主黒田長政公(黒田如水より前年家督を受け継いだ)が朝鮮征伐の休戦中の福島公に御見舞い挨拶に母里太兵衛を使者として使わした時の物語です。
 

CN25周年

 投稿者:松本達雄  投稿日:2005年 9月17日(土)15時35分9秒
  9月24日我が中津沖代クラブの創立25周年の記念式典がマリエールオークパイン(旧中津平安閣)で開催されます。登録は500余名を頂きメンバー一同その用意で日々頑張っています。恒例の出し物は歴代会長による舞踊「黒田武士」です。ご存知のように黒田武士のモデルとなった黒田藩の重臣、母里太兵衛は当時豊前中津藩主黒田官兵衛孝高(如水)の使者として伏見城の福島正則公を訪ねた時、その宴の最中福島公と酒の飲み比べをすることになり見事その勝負に勝ち「日本号」という信長、秀吉と伝わってきた名槍を戴く事になった史実を今様として歌い継がれてきたものです。その史実は余りにも有名になり当時中津で流行っていた豊前今様の節に乗せて歌い継がれていったのです。その当時、母里太兵衛は中津市角木町に住んでいたという事は余り知られていませんが、このことから名曲「黒田武士」の本元はこの中津市であります。我々中津沖代LCはその史実をあらためて世にアピールするためにこのCN25周年の出し物に「黒田武士」の舞を皆様にご披露するものであります。当日多くの皆様にお会いでき拙い舞ですが歴代会長が一生懸命練習したその晴れ姿を見ていただければ幸甚に存じます。  

1年の思い出

 投稿者:山村増廣  投稿日:2005年 6月25日(土)11時10分52秒
  1年間会長の任に当たり、本当に充実した1年であったと思います。
此迄3役はおろか、院長の経験もないままの会長就任に当たり、
まずクラブ運営の内容とはに?始まり委員会活動、予算編成について等々
就任前4ヶ月は、此迄の各委員会活動の内容の確認に始まり、予算消化率、
その確認に費やしどの会員にも解りやすい予算書の作成はどの様にすべきか?
検討の結果細部に渡り詳細に提示することにした結果、此迄とは違った書式になり
会員に馴染んで頂くには少し時間がかかると思いますが今後に活用できる事と
確信をしております。
又今期より各副会長に、4委員会の取り纏めをして頂きましたが、会長就任時には
委員活動はすべて把握出来ており会の運営に思い切った行動がとれ、効果的な
奉仕活動が出来るものと思っております。
これからはノンペーパーの時代となります。
食わず嫌いで通すのではなく、全会員が取り組むよう運動していかなければと成らない
しなければ今後の生活に支障を来すようになりなす。
今日からでもITの勉強に努力を!!!!。
我がクラブは337−B地区の中で元気印の会と持ち上げられておりますが、近い将来
ガバナー輩出を目指し奉仕活動に此迄以上頑張うではありませんか。
 

ふじまつり

 投稿者:松本達雄  投稿日:2005年 5月16日(月)23時48分13秒
  第4回中津みなとふじまつりに沢山の写真,俳句、短歌の応募作品が届きました.厳正なる審査の結果素晴らしい作品が入賞の運びとなりました.この19日の例会にて表彰式を挙行します。どんな方が来られるか楽しみです.文化の香り高い中津市の大いなる発展に寄与できればと思っています.  

第4回中津みなとふじまつり

 投稿者:松本達雄  投稿日:2005年 5月 7日(土)23時43分36秒
  4月29,30日我がクラブのメイン行事の一つでもある第4回中津みなとふじまつりは、天候にも恵まれ大盛況のうちに終了しました。皆さんのご協力に感謝!お疲れ様でした.  

訃報

 投稿者:山村 増廣  投稿日:2005年 4月 3日(日)13時24分20秒
  我がクラブのチャーターメンバーであり5代会長を務められました
L中野 守はかねて療養中でありましたが、4月3日午前4時5分に急逝されました。
此れまでの功績は書き尽くせない程であります。
心からの御冥福をお祈りしたいと思います。
通夜、葬儀につきましては 故人並びにご遺族の要望により身内のみにて
執り行い申し出でありますので御了承下さい。。
又 供花、弔電、香典につきましてはお断りさせて頂きます。
尚 故人の御遺志により検眼させて頂きました。  合掌
 

新年のご挨拶

 投稿者:中津沖代LC  投稿日:2005年 1月 1日(土)16時20分22秒
   明けましておめでとう御座います。
旧年中はご協力賜り感謝申し上げます。
今年の朝は一面の雪化粧、本当に真っ白銀世界でした。
昨年の「災」はこれで消され今年はより良き年に成ると確信しております。
今年も宜しく、ご指導宜しくお願い申し上げます。
     2005 元旦
  中津沖代LC 24代会長 山村 増廣
 

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