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レス有難う御座います。

 投稿者:おでん  投稿日:2005年10月 4日(火)09時31分28秒
   TOMOさん、レス有難う御座います。
 >ハンドル
 ええ、同じ人と思って頂いて結構です。何時ぞやはムキになってしまい、済みませんでした。

 わたしのほうは、ある意味何でも反対反対と言っている泡沫候補のようなもんです。「ではどうすればよかったのか」が有るTOMOさんの作品は、早くから某大手検索サイトで採用されるだけあると、正直思いました。

 拙作について「そのうち読む」と仰っていただき光栄です。

http://yellow.ribbon.to/~odedenden/

 
 

おいでなさいませ

 投稿者:TOMOメール  投稿日:2005年10月 3日(月)20時19分42秒
  いつぞやどこぞのbbsでお見かけしたような見なれたハンドルですが…(違ったら失礼)

なにかの続編は、それぞれのオリジナル・イメージがあるので、どうしてもリスキーですからね(Matrixなんてその最たるもの^^;)。それでも目を通していただいてありがとうございます。まあ、なんとか合格点をいただけたようで多謝多謝。m(_ _)m

おまけにネタバレの配慮までしていただいて恐縮です(<バレ>以下に文字が隠れてるのね。最初はなんだかわかんなかった>.<;)。

そちらのサイトもなかなか濃そうなので、ゆっくりじっくり読ませてもらいます。
 

はじめまして

 投稿者:おでん  投稿日:2005年10月 3日(月)10時26分45秒
   TOMOさん、はじめまして。おでんと申します。

 前々から気になっていた「MATRIX RESTART」、意を決して読ませていただきました。
 最終解説中の、映画ラストバトルに関する記述で「一蓮托生で道ずれにすることははじめから(マシンシティに向かうと決めた時から)承知の上。」とのご意見を読んで、何となくわたしとは会わないのではと食わず嫌いをしてしまっていました。わたしは、ラストバトル中ビル内でのバカポーズを「勝利を確信した雄たけび」のように解釈していましたので。
 すみません。

 思ったより意外と、わたしの想像していたMATRIXに近かったのでびっくりしました。

 実は、わたし自身は元の映画を「共生の話」とは、全然思っていません。
 しかし一方で、もし共生オチに持っていくならこのくらいやって欲しいと思ってもいました。
<バレ> さりげにスミスの能力も用立てていただけた点など、たいへん感動しました。
 DVD「アルティメットコレクション」のオマケディスクで解説されていたように「スミス退治の方法は、彼を受け入れるという慈悲深いものである」というなら、TOMOさんの作品位やらなくては!

http://yellow.ribbon.to/~odedenden/

 

だいじょうぶですよ。

 投稿者:TOMOメール  投稿日:2005年 8月14日(日)13時52分57秒
  私は寝て起きてから書いてますから。いまも昼寝後(^^;)

まあ、何を個人的欲求の範囲に入れるかは人それぞれ、状況それぞれですからね。自分に全人類の未来を双肩に担う能力と状況が無いことを感謝します(Matrix/ネオはそういう状況設定ですからね)。
今の所、私自身の最優先項目は「自己満足」かな。この点では、論理を意識して捨てるようにしてます。主観的な(論理なしの)確信を得られれば、不完全な論理(完全な論理はそもそも自分の知性を超えたものと考えています)に迷うこともないですからね。
 

抜けられないですねー。

 投稿者:peepoo  投稿日:2005年 8月14日(日)12時48分25秒
  まずはTOMOさん、cafeさん、レスありがとうございます。
お二人とも非常に論理的でわかりやすく、且つ誤解が生じないよう気を遣って下さっているのがよくわかります。
#お二人の投稿時間と文章量を見ると寝ているのか心配です。(^^;

結果的にスミスとネオの問答に関する解釈は、主観とすれば反論の余地はないという事で了解です。
主観と客観のずれは、よく男女間の喧嘩で生じますね。(^^
ただネオの発想がその行動に繋がる事は理解できても、cafeさんのおっしゃる通りなぜそういう発想になるかは私には理解できないかもしれません。

客観と主観の関係は理解でき同意ですが、不変の事実や過去の事実は少なくとも言葉の定義に共通認識があれば、事実に相違ないと思っています。

(言葉の解釈を除けば)「人は死ぬ」という事実を否定する人はいないと思います。これは人=死ぬという関係が不変なものだからです。
また時間の絡む例では、「小泉さんは総理になった」という過去の事実も不変のものです。

私の選択(主観的判断)の元となるインプットは、個人では抵抗し難い人類全体の流れを創り出してきた大衆の選択という過去の事実、広くはエネルギー全体の流れを創り出す物理法則という不変の事実が、私個人の感情より大きな割合を占めているのだと思います。

個人の内から湧き出る欲求は大切だと思いますが、元々その欲求は本人としても広く客観的に判断したものではなく、生来の個性や衝動、かなり限定的な個人の周辺環境等から生じるものだと思います。

例えば温暖化問題を例にあげると、比較的客観的判断をしやすいはずの国という集団単位でさえ、排出量TOP2のアメリカと中国は「国益の阻害になるから」という短期的・局所的理由で拒否しています。
また最も取り組んでいるはずの日本でさえ増え続けています。
勿論、時代や背景により判断は変化するのでしょうが、全体よりより身近な利益(と主観が判断するもの)を優先するのは生物の抗えない性で、そしてこれがスミスの言う愚かな人間の知性の限界だと私も思います。

そして全体の判断が個人環境に反映されます。
自然界の弱肉強食の法則の元、アメリカNo.1で最終的に人類全体が滅亡するのはかまいませんが、その過程で逆方向に取り組む気は起きません。
自分の中にも勿論より良い自然環境にしたいという発想はありますが、歴然の力関係で一部が抵抗する事の無意味さが理解できない程非論理的に考える事はできません。そして同時に自分の中に環境改善とは比較にならない程の温暖化を進める様々な豊かさを求めてしまう欲求が間違いなくあります。
これはバランスの問題ではなく、最終的にはベクトルで必ず一方に向かいますし、現実は言わずもがなです。

これらのインプットを元とする私の主観的判断は、それこそ0.0000..1%の可能性にかける救世主でもなければ「環境問題に取り組むのは無意味」となるわけです。

長くなってきたため広義の説明をほぼ省略しますが、同様の発想で人類・地球・太陽系~宇宙まで我々の認識できるこの時空間では、エネルギーが変化しているだけで意味はないと考えてます。
意味や目的を持つことでこの時空間のごく一部の「エネルギーの変化の仕方」を変える事はできると思いますが、(それが仮に今の人類に理解できない壮大な目的に寄与する可能性が極僅かあったとしても、)ネオやTOMOさんと同様の選択には至りません。

表現としては、私にとって現時点で選択肢があるとは思えず、終焉への一本道だと確信しているという事になるかもしれません。
希望としてはmatrixの中でもいいのでこういう事で悩まずに済むようになりたいんですけどね~。(^^;
 

逆立ちした法王は電気磔の夢をみるか?(笑)

 投稿者:TOMOメール  投稿日:2005年 8月14日(日)08時34分29秒
  ん~、あいかわらず鋭いですねぇ。ありがとうございます。

ただ、私の意見としては、『「根拠なき決断(決断主義)」のようなもの』でいいと思うんです。ここでいう<根拠>もまた<論理>のたぐいであることは別として。

人間の判断(主観)は何処からくるのか。
まったく何も無い所からぽんとでてくるとは思えません。やはり何らかのインプットがあって、その結果として出てくるものでしょう。では、インプットとはなにか。論理もその一つではありますが、それだけではありません。というか、論理は処理をするには知識と経験を要する相当ハイレベルな処理の必要とするインプットであり、かなり特殊な部類に入ると思います。
では、広くとって自分以外のあらゆるもの(環境、といっても良いでしょう)からくるインプットすべて、なのでしょうか?物理的な刺激として入ってくる情報全て。理論的には他の情報源はありませんから(いまのところ?笑)、その方向で考えましょう。
ここで見落としがちなのは、物理的な刺激というのは自分の肉体の中からくるものも含まれる、ということです。刺激は何らかの形で<情報>に変換されて意識という正体不明のモノに渡されて処理されます。つまり、意識で処理される<情報>になるまでは、すべからく物理的要素に影響されるのです、最終段階の変換作業そのものも含めて。
すなわち、どのような刺激も、個々の(それぞれに特有の特性を持つ)肉体によるフィルタを通して<情報>に変換され、それからインプットされるわけです(まだ処理はされていない「生データ」として)。
それから、ローレベルの処理つまり無意識下での処理(これまた個体差はあるでしょう)を経て、やっと意識に到達します。前段階である無意識下の処理をコントロールするのはむずかしいでしょうし、その結果を論理でキャンセルするのは不可能です(せいぜい無視するのが限度でしょう)。痛い、きもちいい、といったローレベルの意識要素は無意識下での処理結果です。「痛い」の原因となる刺激は特定できても、その刺激を<痛い>と認識するプロセスを意識的に(論理で)コントロールすることはできません(一般的には。笑)。
意識、すなわち論理の通用するところにたどりつくまでに、これだけのフィルタを通り、ある程度の前準備、ある意味での判断のようなものを済ませているわけです。もっともプリミティブな判断、「きもちいい」か「きもちわるい」かはこの段階ではもう決まっているのではないでしょうか。
そして、そのプリミティブな感覚判断を根拠にした決定において、意識上の論理はつけたし、せいぜい社会的なチェックでしかありません。「きもちいからこっちがいい」という厳然とした感覚判断があって、それを意識(論理)が許容するかぎり、その決定は無条件で(本人にとっては)正しい結論なのです。

長くなりましたが、論理でコントロールできない(したがって結果の説明もできない)肉体/無意識による感覚判断とでもいうものがあるのではないか、ということなんです。それを論理で見てしまうと「根拠なき決定」としかとらえられないけれども、そのプロセスを考えると否定することもできない、そういう決定。
ネオの「選択」はそういう生身の存在に無条件で存在するローレベルの感覚を根拠としたものではないでしょうか。論理的には理解不能…スミスやアーキテクトはもちろん、他の人間にさえも理解不能な、でも他の人間やオラクルには(理解はできなくとも)受容可能な理由による選択。だからこそ、アーキテクトやデウスがネオの「選択」をあれほど尊重し、また必要としていたのではないでしょうか。

ちなみに、そのようなローレベルの感覚判断(プロセス)はリアルタイムではまったくコントロールできませんが、ある程度の時間があれば、多少は変えていくことができるとおもいます。肉体的な部分は、単純に栄養や体調という問題から神経シナプス情報伝達物質の薬物調整までいろいろ方法はありそうですし、無意識判断の部分は経験の有無(量/質)でかなり変わってくるとおもいます。
マトリックスでのプログラムシミュレーションではリアルタイム(に近いくらい)の早さでパラメータをかえることができるかもしれませんが、生身の人間ではそうはいきません。けれども、逆にある意味で変えやすいものであるわけで、その「心変わり」が非論理的とも柔軟性ともなるわけです。今現在の主観的判断は今現在のモノ、過去や将来に渡って絶対的なものではありません。下手にある時点での論理的な理由に縛られてしまうと、それ自体が非論理的な「思い込み」になってしまう危険性があるのです。

そのときどきに、自分の心の中を素直にのぞくこと、体に聞いてみること。論理的には説明できなくても存在しうる感覚的判断を確認すること。主観を(意図的に)客観にすり替えることなく、あくまでも主観としてあつかうこと。
そうすれば、「主観的確信」(の中身)は不変のものではなくなるはずです。その場合、なにがきっかけで変化がおこるかは誰にもわからないので、選択肢を狭めないためにも一応言うだけは言っておこうか、というのが私のスタンス。あとはご自由に「選択してください」、です。

もちろん、ネオが預言を信じていることを認めるにやぶさかではありません。わたしが言っているのは、「なぜ預言を信じる気になったか」の部分ですから。
 

横レス失礼します。

 投稿者:cafe  投稿日:2005年 8月14日(日)04時45分28秒
  ちょっと横レスで失礼しますが、ちょっと気になったもので。
まず、TOMOさんの書き込みから。

>いずれにせよ、ここでのキモは「客観的事実は主観的前提によって成立する」ということでしょう。「客観的」であることを認定するのは<主観>です。

>ということで、存在に対する<目的>や<意味>は各自の中にある(もしくはない)、と言うことだと思います。

たまたま哲学や社会学などをかじっている関係で、以上のような論理を一言で表すと、(言葉の真の意味において)「(主観的)相対主義」ということになると思います。(「相対主義」というと、悪いイメージでとらえられることが多いですが、ここではそのような意味でなくて、あくまで理論上の問題としてとらえます。)

哲学史や科学史、そして現代思想にいたる流れを紐解くと、まず「主観的相対主義」は、ドイツ観念論、とりわけカントの主観哲学に始まると思います。カントの哲学に関しては、いろいろと複雑なのですが、現代の構造主義などに通ずる主観概念は、カントに起源を持つとされています。

科学史では、TOMOさんご指摘のとおり、非ユークリッド幾何学の発見によって、「客観」概念への懐疑が問題となり、そうした「客観的概念は、主観による介入によって成立する」という主張は、一般相対性理論および量子力学の観測問題によって一応の完成をみます。

この自然科学における相対主義を、哲学的に基礎付けたのが、有名なトーマス・クーンの『科学革命の構造』で、そこでは「どのような歴史的パラダイムも、社会的コンテクストによって決定される。(したがって、どのような客観性も、主観による介入を必要とする。)」という主張がなされます。

哲学や社会学の分野では、そうした相対主義の理論として、構造主義や社会構成主義=構築主義などが登場します。長くなるので、以下の記事をどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/cafe_noir/20050115#p2


で、長々と書いてきましたが、結局何が言いたいのか。

以下は別に批判ではないのですが、peepooさんが、すでに、

>私は鬱になる事もなく日常生活を送ってますが人間の活動に意味は見いだせません。

という「主観的確信」を持っているのであれば、何かよほどpeepooさんの中で変化が起こらない限り、ネオの「選択したからだ。(だから闘う。)」という言葉も理解できないでしょうし、TOMOさんや他の誰かがpeepooさんに何を言っても、その「確信」を変えることは出来ない、あるいは難しいであろう、ということなのです。

peepooさんへの意見は以上です。つぎにTOMOさんの書き込みですが、

>すなわち、ネオの答えは「そうする理由は、自分でそうすることを選択したから」ということになります。

ネオのセリフが、もし、「Why do you fight ?」「Because I choose to fight.」ということであるとするなら、文面だけを読みとると、どうしても「根拠なき決断(決断主義)」のようなものになってしまうので、やはり「何故闘うのか」という「目的」が必要になる。

そこで、ネオの言葉は、「I choose to fight because I believed the prophecy.」つまり「自分は救世主として、預言を信じるからこそ闘うんだ。」という意味にとる必要があるのではないかと。

『リローデッド』予告編にもあった言葉、「預言が本当なら、闘いの無い未来が来る。だからこそ闘える。だからこそ死ねるのだ。」という言葉が、ここで再現されているのだと思います。

http://d.hatena.ne.jp/cafe_noir/

 

えーと

 投稿者:TOMOメール  投稿日:2005年 8月14日(日)02時19分32秒
  まずは原典の方から(^^;)
ネオの台詞はこうです。Neo: Because I choose to.
日本語で「選択したからだ」としてしまうと<何を>が抜け落ちてかなり曖昧になってしまいますが、原語では「to」があることから、そのあとに動詞が省略されていることがわかります。おそらくは「闘うこと」、もっと広く解釈するなら、スミスの指摘した動作すべて、つまり「信じる」「愛する」などの人間特有の動作を含めても良いと思います。
すなわち、ネオの答えは「そうする理由は、自分でそうすることを選択したから」ということになります。

それ以外の理由、スミスの理解できるような論理的な理由については一切触れていません。しかし、この答えは、スミスには論理的に反駮できない唯一の答えでもあります。人間の存在には意味も目的もない、というのはスミスの見た客観的事実です。しかし、主観的な価値判断によって与えられた目的や意味は、主観的であるが故に客観的な根拠は必要としないのです。客観的事実が有効なのはそれを受け入れる主観があってこそで、主観、つまりこの場合の議論の前提が異なっている場合は、完全の別の話になってしまいます。それはユークリッド幾何学(平行線は交わらない)と非ユークリッド幾何学(平行線は交わる)の差のようなもので、どちらをとっても論理的な破綻はなく、したがってどちらもそれぞれの前提で十分に論理的である、以上証明終わり、となります。
まあ、そこまで言わなくても、スミスの指摘した客観的事実を(スミスの言う通り)しっかり理解した上で、それでもなおネオの判断がそうである、となれば、もう反論の余地はないんですけども。

いずれにせよ、ここでのキモは「客観的事実は主観的前提によって成立する」ということでしょう。「客観的」であることを認定するのは<主観>です。仮想の客観的存在を想定することこそ幻想ですからね。たまたま大多数の主観が「これは客観的事実である」と認定しているから、だいたい客観的であるとして通用しているわけで、それ以上の論拠はありえません。「客観」こそ理論上の存在です。
スミスの言う「意味も目的もない」という価値判断自体、スミスの主観的判断です。たとえそれがどれほど論理的に支えられていても、いわゆる客観的事実で示されていても、それは主観的判断にとっては「傍証」にしかすぎません。
すなわち、同じ<傍証>を与えられてまったく異なる主観的判断をすることは、論理的に言ってもまったく問題はないのです(それが「主観」の定義といえるかもしれません)。ネオの答えは、ひとことでそのことを言い切ってしまったわけです。

さらに言えば、「選択する」=「自分で決める」という動作自体も、いわゆる(くどいようですが^^;)客観的事実に対する強力な武器になります。

そもそも「目的」や「意味」という概念自体、主観的なものです。存在そのものに意味や目的はありません。しかし、だれかがなにかの存在に(主観的に)意味や目的を与えれば、(少なくともその主観的主体にとっては)その存在には意味があり目的があることになります。それは客観的には否定のしようがありません(説得して心変わりさせる、というのは別の話ですよ、念のため)。
つまり、そもそもが意味や目的は与えられるものではなく、自らが与えるものだということです。そして、自由な人間にはその選択の余地があり、それ(主観における自由選択の余地)は力によっても論理によっても奪うことはできない。ネオが行使したのは、そのレベルの選択権なのです。

ということで、存在に対する<目的>や<意味>は各自の中にある(もしくはない)、と言うことだと思います。
個人的には、現実の人生を避けられない以上、論理や宗教には関係なく(爆)、すべての存在に意味を<与える>ことを「選択します」。
 

彷徨う子羊です♪

 投稿者:peepoo  投稿日:2005年 8月13日(土)23時17分9秒
  詳しい解説大変参考になりました。
私はMatrixのStoryより着眼点そのものの解を探しています。
正解はないかもしれませんがよろしければTOMOさんの見解をお聞かせ下さい。
スミスとの最後の戦いで以下のような問答があると思います。

スミス「なぜだ?なぜやめない?(中略)それはただの幻想だよ
  愚かな人間の知性が意味も目的もなく存在するのを正当化するための幻だ
  マトリックスと同じ虚構なのだ(中略)なぜそこまでして戦う?」
ネオ「選択したからだ」

このネオの答えが意味するところが私には理解できませんでした。
一方、スミスの言い分はfictionでも何でもなく事実そうだと思います。
#その後スミスが「この世界が自分のものだ」と無意味な目的に
 向かっているのには幻滅ですが…

私は鬱になる事もなく日常生活を送ってますが人間の活動に意味は見いだせません。
よろしければ上記会話の解釈と、現実世界の時空間において我々が存在する
意味や目的に関する考えをお聞かせ頂ければ幸いです。
 

真の異端は我が内にあり(爆)

 投稿者:TOMOメール  投稿日:2005年 7月30日(土)21時11分27秒
編集済
  異端についてはあまり詳しくないですし、挙げられた本も読んでないので、引用だけの知識でのコメントですが。

(1)至高神を「ザイオン(現実)の世界そのもの(そこには当然マトリックスも含まれます)、あるいはその創造神」と捉えると、並列した「対立」関係というよりは、釈迦の手のひらの上での「対抗」のような関係でしかなくなるので、二元論というにはちと弱いのではないかと思います。
したがって、この場合の「至高神」にあたるのはザイオンの世界というよりは「真実を知っている人間たち」でしょう。それに神というものは何らかの意志を持つものですから。
ただ、はっきり「マシン/マトリックス=悪、人間/現実=善」と言い切ってしまうのはちょっと違和感がありますね。ネオの見たマシンシティの美しさ、アーキテクトやデウス・エクス・マキナの(マシンなりの)正直さ、オラクルやサティの存在などを考えると、二元論ではあっても善悪の差ではないような気がします。

(2)言葉じりを捉えるつもりは無いのですが、「…という確信」という表現には「自分では確信しているけれども、本当の所はどうなのかはだれにもわからない」というニュアンスが感じられます。ここで言っているのは『人間の内部に「神的本質」「本来的自己」が存在するにもかかわらず、そのことに気付いていない人間たち』ということですよね?それで「現実に肉体があるにもかかわらず、それに気付いていない人間たち」へと繋がるとおもいます。

(3)この場合の救済啓示者はオラクルではないと思います。オラクルが啓示を与えるのは、すでに目覚めた者たちです。オラクル自身が覚醒をもたらすことはありません。これも、至高神が目覚めた人間であるとすれば、啓示者も目覚めた人間がジャックインしている状態とするのが妥当だとおもいます。

[この世の終わり]ん~これはどうですかね。どちらが勝ってもマトリックスが終わるわけじゃないので、一つの区切りではあるけれど、終末的な最終戦争というには、ちょっと…。個人的にはむしろ、リロのコンセプトでもある輪廻=終わりなき闘いのイメージが強いんですけど。

まあ、いずれにせよ、そういう読み方もできるとはおもいます。まったく、なんでもありなんだから、あの映画(^^;)
 

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