teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 <思いやりのあるコミュニティ宣言>
 teacup.掲示板は、皆様の権利を守りながら、思いやり、温かみのあるコミュニティづくりを応援します。
 いつもご協力いただきありがとうございます。

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. ルイヴィトン偽物/シャネル偽物bag26.com(0)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


えーと

 投稿者:TOMOメール  投稿日:2005年 8月14日(日)02時19分32秒
  まずは原典の方から(^^;)
ネオの台詞はこうです。Neo: Because I choose to.
日本語で「選択したからだ」としてしまうと<何を>が抜け落ちてかなり曖昧になってしまいますが、原語では「to」があることから、そのあとに動詞が省略されていることがわかります。おそらくは「闘うこと」、もっと広く解釈するなら、スミスの指摘した動作すべて、つまり「信じる」「愛する」などの人間特有の動作を含めても良いと思います。
すなわち、ネオの答えは「そうする理由は、自分でそうすることを選択したから」ということになります。

それ以外の理由、スミスの理解できるような論理的な理由については一切触れていません。しかし、この答えは、スミスには論理的に反駮できない唯一の答えでもあります。人間の存在には意味も目的もない、というのはスミスの見た客観的事実です。しかし、主観的な価値判断によって与えられた目的や意味は、主観的であるが故に客観的な根拠は必要としないのです。客観的事実が有効なのはそれを受け入れる主観があってこそで、主観、つまりこの場合の議論の前提が異なっている場合は、完全の別の話になってしまいます。それはユークリッド幾何学(平行線は交わらない)と非ユークリッド幾何学(平行線は交わる)の差のようなもので、どちらをとっても論理的な破綻はなく、したがってどちらもそれぞれの前提で十分に論理的である、以上証明終わり、となります。
まあ、そこまで言わなくても、スミスの指摘した客観的事実を(スミスの言う通り)しっかり理解した上で、それでもなおネオの判断がそうである、となれば、もう反論の余地はないんですけども。

いずれにせよ、ここでのキモは「客観的事実は主観的前提によって成立する」ということでしょう。「客観的」であることを認定するのは<主観>です。仮想の客観的存在を想定することこそ幻想ですからね。たまたま大多数の主観が「これは客観的事実である」と認定しているから、だいたい客観的であるとして通用しているわけで、それ以上の論拠はありえません。「客観」こそ理論上の存在です。
スミスの言う「意味も目的もない」という価値判断自体、スミスの主観的判断です。たとえそれがどれほど論理的に支えられていても、いわゆる客観的事実で示されていても、それは主観的判断にとっては「傍証」にしかすぎません。
すなわち、同じ<傍証>を与えられてまったく異なる主観的判断をすることは、論理的に言ってもまったく問題はないのです(それが「主観」の定義といえるかもしれません)。ネオの答えは、ひとことでそのことを言い切ってしまったわけです。

さらに言えば、「選択する」=「自分で決める」という動作自体も、いわゆる(くどいようですが^^;)客観的事実に対する強力な武器になります。

そもそも「目的」や「意味」という概念自体、主観的なものです。存在そのものに意味や目的はありません。しかし、だれかがなにかの存在に(主観的に)意味や目的を与えれば、(少なくともその主観的主体にとっては)その存在には意味があり目的があることになります。それは客観的には否定のしようがありません(説得して心変わりさせる、というのは別の話ですよ、念のため)。
つまり、そもそもが意味や目的は与えられるものではなく、自らが与えるものだということです。そして、自由な人間にはその選択の余地があり、それ(主観における自由選択の余地)は力によっても論理によっても奪うことはできない。ネオが行使したのは、そのレベルの選択権なのです。

ということで、存在に対する<目的>や<意味>は各自の中にある(もしくはない)、と言うことだと思います。
個人的には、現実の人生を避けられない以上、論理や宗教には関係なく(爆)、すべての存在に意味を<与える>ことを「選択します」。
 
 

彷徨う子羊です♪

 投稿者:peepoo  投稿日:2005年 8月13日(土)23時17分9秒
  詳しい解説大変参考になりました。
私はMatrixのStoryより着眼点そのものの解を探しています。
正解はないかもしれませんがよろしければTOMOさんの見解をお聞かせ下さい。
スミスとの最後の戦いで以下のような問答があると思います。

スミス「なぜだ?なぜやめない?(中略)それはただの幻想だよ
  愚かな人間の知性が意味も目的もなく存在するのを正当化するための幻だ
  マトリックスと同じ虚構なのだ(中略)なぜそこまでして戦う?」
ネオ「選択したからだ」

このネオの答えが意味するところが私には理解できませんでした。
一方、スミスの言い分はfictionでも何でもなく事実そうだと思います。
#その後スミスが「この世界が自分のものだ」と無意味な目的に
 向かっているのには幻滅ですが…

私は鬱になる事もなく日常生活を送ってますが人間の活動に意味は見いだせません。
よろしければ上記会話の解釈と、現実世界の時空間において我々が存在する
意味や目的に関する考えをお聞かせ頂ければ幸いです。
 

真の異端は我が内にあり(爆)

 投稿者:TOMOメール  投稿日:2005年 7月30日(土)21時11分27秒
編集済
  異端についてはあまり詳しくないですし、挙げられた本も読んでないので、引用だけの知識でのコメントですが。

(1)至高神を「ザイオン(現実)の世界そのもの(そこには当然マトリックスも含まれます)、あるいはその創造神」と捉えると、並列した「対立」関係というよりは、釈迦の手のひらの上での「対抗」のような関係でしかなくなるので、二元論というにはちと弱いのではないかと思います。
したがって、この場合の「至高神」にあたるのはザイオンの世界というよりは「真実を知っている人間たち」でしょう。それに神というものは何らかの意志を持つものですから。
ただ、はっきり「マシン/マトリックス=悪、人間/現実=善」と言い切ってしまうのはちょっと違和感がありますね。ネオの見たマシンシティの美しさ、アーキテクトやデウス・エクス・マキナの(マシンなりの)正直さ、オラクルやサティの存在などを考えると、二元論ではあっても善悪の差ではないような気がします。

(2)言葉じりを捉えるつもりは無いのですが、「…という確信」という表現には「自分では確信しているけれども、本当の所はどうなのかはだれにもわからない」というニュアンスが感じられます。ここで言っているのは『人間の内部に「神的本質」「本来的自己」が存在するにもかかわらず、そのことに気付いていない人間たち』ということですよね?それで「現実に肉体があるにもかかわらず、それに気付いていない人間たち」へと繋がるとおもいます。

(3)この場合の救済啓示者はオラクルではないと思います。オラクルが啓示を与えるのは、すでに目覚めた者たちです。オラクル自身が覚醒をもたらすことはありません。これも、至高神が目覚めた人間であるとすれば、啓示者も目覚めた人間がジャックインしている状態とするのが妥当だとおもいます。

[この世の終わり]ん~これはどうですかね。どちらが勝ってもマトリックスが終わるわけじゃないので、一つの区切りではあるけれど、終末的な最終戦争というには、ちょっと…。個人的にはむしろ、リロのコンセプトでもある輪廻=終わりなき闘いのイメージが強いんですけど。

まあ、いずれにせよ、そういう読み方もできるとはおもいます。まったく、なんでもありなんだから、あの映画(^^;)
 

グノーシス主義とマトリックスの世界

 投稿者:cafe  投稿日:2005年 7月30日(土)19時34分15秒
  こんにちは。今回も的外れなネタを思いついたので、書かせてください。

マトリックスの世界設定は、基本的にはコンピューターの理論のモチーフを取り入れていますが、映画のストーリーそのものは、なんとなくキリスト教異端派の神学(「グノーシス主義」と言います)の世界観が感じられるんですね。

それで、以下はわたしの解釈(括弧内はわたしの注釈)。
(筒井賢治『グノーシス―古代キリスト教の〈異端思想〉』(講談社選書メチエ)から引用。
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2583135

■グノーシスの定義。

(1)「反宇宙的二元論」
この世界・この宇宙(マトリックス)は劣悪な創造神(マシン=アーキテクト)が造ったもので、この創造神は善なる至高神(ザイオンの世界?)と対立的な関係にある。

(2)「人間の内部に「神的本質」「本来的自己」が存在するという確信」
人間は創造神の支配下にある(モーフィアス「マトリックスとは、マシンが人間を支配するための仮想現実だ」)が、その中に、至高神に由来する要素がわずかだけ閉じこめられている(ネオ「目覚めていても、まだ夢を見ているように感じたことはないか?」)。

(3)「人間に自己の本質を認識させる救済啓示者の存在」
人間はそのことに気付かないでいるが、至高神から啓示者(オラクル)がやってきて、人間(ネオ)に自分の本質(「the One」=救世主)を認識せよと促す(予言)。


■キリスト教グノーシスの「黙示」の思想。

この世の終わりは近く、善(ネオ)と悪(スミス)が決着をつける最後の戦いがいよいよ切迫している(『レヴォリューションズ』ラスト スミス「Mr.Anderson,welcome back.We missed you.」 ネオ「It ends tonight.」)という極端に終末論的な世界観(オラクル「Everything that has a beginning has an end...」)。


どうでしょうか? われながら綺麗な解釈だと思うんですが(笑)。
今回も駄ネタですみませんでした・・・。では失礼します。

http://d.hatena.ne.jp/cafe_noir/

 

ネオの能力に関する

 投稿者:TOMOメール  投稿日:2005年 7月21日(木)19時37分49秒
  ちょっとしたヒント(^^)

http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20050720301.html
 

とんでもない

 投稿者:TOMOメール  投稿日:2005年 6月12日(日)08時47分19秒
  頭の方を読んだだけですが、適当に読んでいい加減なコメントをするよりはしない方がいいかと思ったもので…失礼しました。たまたまそっち方面は(個人的に)リアルで痛いのでパスさせていただきましたが、興味のある方も多いと思います。SF(の視点)に触発されて現実を再認識するのはよくあることだと思いますし。

またなにか思い付いたら遠慮なく投稿してくださいな。
 

すみませんでした(汗)

 投稿者:cafe  投稿日:2005年 6月11日(土)20時33分0秒
  あらら・・・。
ちょっと話のネタになるかと思ったのですが、どうも的外れな投稿をしてしまったようで・・・(汗)。ごめんなさい。
 
ちなみにこのスラヴォイ・ジジェクという人は、旧ユーゴスラビア出身の社会哲学者で、精神分析の理論を応用した社会理論の著作で有名な人です。今の現代思想のトップ・ランナーの一人ですね。
 
まあ今回は、こういう話もありますよ、という程度で受け流してくださいね。
では失礼します。

http://d.hatena.ne.jp/cafe_noir/

 

ごめんなさい

 投稿者:TOMOメール  投稿日:2005年 6月11日(土)19時50分43秒
  その論文は聞いたことも無かったので、挙げてくれたサイトで目を通そうとしたのですが、読み通すことができませんでした。どうしても最後まで読む気にならなかった、というのが正直な所。
申し訳ありませんが、論文に関してはノーコメントとさせてください。

なお、"Welcome to the desert of the real."という台詞は、ネオがReal Worldへ入った(「Welcome to the real world」がReal World内での最初の台詞)あと、もう一度モフィアスと一緒に(Matrixではないにしろ)仮想世界にジャックインし、そこで見せた地上の情景にあわせてモフィアスが言ったもの。決してReal WorldのRealな情景のなかでRealに言った台詞ではありません。念のため。

まあ、Rial Worldの真実を説明するのに仮想世界を使う、それですんなり納得する、ってこと自体が皮肉ですよね。それに本人たちが気付いていないことも。

あ、直リンクはぜんぜんかまいません。ご丁寧にありがとうございます。
 

「マトリックス」と「9・11」

 投稿者:cafe  投稿日:2005年 6月11日(土)17時33分8秒
  こんにちは。再びお邪魔します。
 
少し古いネタで、もう既にTOMOさんもご存知だと思うのですが、9・11テロ事件を、「マトリックス」の世界設定と関連させて論じた、スラヴォイ・ジジェクの有名な論文がありますが、TOMOさんはどのような感想をもたれましたか?
 
まあ、このことは基本的に政治の世界の話で、このサイトの趣旨からは外れてしまいますが、いちおう「マトリックス」に関連する話ということで。
 
■スラヴォイ・ジジェク「現実界の砂漠にようこそ!」(村山敏勝訳『現代思想10月臨時増刊 2001 vol.29-13「これは戦争か」』青土社)
http://art-nomad.net/modules/bwiki/index.php?cmd=read&page=Philosophy%2FWelcome%20To%20The%20Desert% 20Of%20The%20Real
 
■原文(Slavoj Zizek 「Welcome To The Desert Of The Real」)
http://www.lacan.com/reflections.htm
 
この論文でジジェクが言っているのは、よく言われているような「これまでアメリカ社会とその住人たちは、高度消費社会の中で、ハリウッド映画の中の世界のようなリアリティーを欠いた幻想的な生を生きていた。しかし、今回の凄まじい9・11テロによって、人々はその幻想の世界から、否応無く”凄惨な現実の世界”へと入っていかざるを得なくなった。」というような単純な主張とは違って、もう少し複雑な理論を展開しています。
 
以下、引用。
 
>ウシャウスキー兄弟のヒット作『マトリックス』(一九九九)は、この論理のクライマックスである。人々が見、体験しているまわりの物質的現実はヴァーチャルなもので、誰もが接続している巨大なメガ・コンピューターによって生み出され、調整されている。主人公(キアヌ・リーブス)が「ほんとうの現実」に目覚めると、見えるのは焼け落ちた廃墟ばかりの荒涼とした眺め──世界戦争後のシカゴの残骸である。抵抗運動のリーダー、モルフェウスは、アイロニカルな歓迎のことばを述べる。「現実界の砂漠にようこそ!」。九月一一日にニューヨークで起こったのは、これに似た性質のことではないだろうか。ニューヨーク市民は「現実界の砂漠」に導き入れられた──いっぽうハリウッドに毒されているわれわれは、崩れ落ちる高層世界貿易センタ-ビルの映像を見ても、巨額の制作費で撮られた大災害の息を呑むようなシーンしか思い出さないのだ。
 
>というわけで、世界貿易センタービル爆破はわれわれの幻想の球域を打ち砕く<現実界>の侵入であったという、標準的な解釈に背を向けるべきだろう。まったく逆に、われわれが現実に住まっていたのは爆破以前のことだった。第三世界の恐怖はありがたいことにわれわれの現実の一部ではなく、(テレビ)スクリーン上の亡霊のごとき幻として(われわれにとっては)存在しているなにかであると思っていたのだ──そして9月一一日に起こったこととは、このスクリーン上の幻想が、われわれの現実(つまりなにを現実として体験するかを決定する象徴的座標)に入ってきたということである。
 
ついでに、この論文を受けて書かれた斎藤環の記事。
■斎藤環「人格障害者と多重人格者の戦いでは、神経症者に支援せよ」
http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/saito/at011203.html
 
まあ、このサイトの趣旨からはちょっと外れてしまいましたが、話のネタということで。
これに関して、TOMOさんから何か思うところなどありましたら、コメントをいただけると幸いです。
では失礼します。
 
P・S 下記URLは、わたしのブログです。このサイトの記事を直リンクしてしまいましたが、よろしかったでしょうか?

http://d.hatena.ne.jp/cafe_noir/

 

セラフもサティも

 投稿者:TOMOメール  投稿日:2005年 6月10日(金)20時10分27秒
  スミスに乗っ取られてます。(そ、女の子の名前はサティ。ダメだよ忘れちゃ、続編のメインキャラなんだから^^;)
直後のオラクルとスミスの会話でオラクルがサティについて尋ねたとき、スミスの返事はオラクルが(二人だけの時に)サティにいった台詞そのまま。つまりサティの記憶を持っている=乗っ取ってしまった、ということです。サティをのこしてセラフが逃げるとは考えられませんから、当然セラフもやられて(乗っ取られて)しまったと考えるのが自然でしょう。

なお、全ての闘いが終わったあと、道に倒れていたサティがむっくり起き上がって「おはよー」ってシーンもありましたよね。あれも、乗っ取ったスミスがやられて元に戻った状況を示しているんでしょう。
ということでスミス亡きあとオラクルが残り、もちろんセラフも同じく復活。そういうことです。
 

レンタル掲示板
/25